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福岡高等裁判所 昭和60年(う)519号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人両名の平等負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人有馬毅が差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官高塚英明が差し出した答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一控訴趣意(三)(理由不備ないし理由齟齬の主張)について

所論は、要するに、原判決は、被告人両名の外国人登録原票(以下、「登録原票」という。)の記載が事実に合つているかどうかの確認申請(以下、「確認申請」という。)手続きの際、外国人登録証明書(以下、「登録証明書」という。)及び登録原票に指紋を押捺しなかつたと認定したうえ(原判示第一及び第三)、昭和五七年法律第七五号による改正前の外国人登録法一八条一項八号、一四条一項を適用して有罪としているが、右各規定が憲法一三条、一四条一項並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号、国際人権規約B規約と略称されているもの。以下、「国際人権規約B規約」という。)七条、二六条に違反しないと判示するにあたり、以下の点において理由を付さずまたは理由に齟齬があるから、破棄を免れない。すなわち、

1  原判決は、外国人登録法の右法条の規定する指紋押捺制度が合理的理由と実質的必要性に基づく旨判示するにあたり、法務省当局の担当者の説明のみによつてこれを認め、その裏付けとなる客観的具体的根拠を示していないから、主張と証拠とを混同し、右説明がなぜ事実認定の合理的基礎になりうるかについての理由を欠いている。

2  原判決は、弁護人の主張する重要な争点について、立法裁量の問題であると判断しているが、基本的人権の保障の問題であるにもかかわらず、なぜ立法裁量の問題であるかについて理由を付さず、かつ裁量の範囲の限界の有無、範囲の逸脱の有無についての判断も示していない。

3  原判決は、指紋押捺制度の合理性、必要性を否定することになる弁護人主張の種々の事実を認定しながら、右制度の合理性、必要性が否定されないと判断した理由を示していない。

4  原判決は、定住外国人である在日韓国・朝鮮人に対し、外国人登録法を適用することと、指紋押捺をさせることとは別の問題であるのに、これを混同して、日本国民と外国人との間の基本的地位の違いを理由にして外国人登録法の適用が法の下の平等に反しないということを説明しているにとどまり、指紋押捺制度自体が法の下の平等に反するか否かについて説明していない。また、意に反して指紋の押捺をさせられない権利の保障が外国人にも及ぶとして日本国民と外国人との間の基本的地位の違いを否定しながら、基本的地位に差異があるとして、法の下の平等に反しないとの結論を導いている。

以上の点において、理由不備ないし理由齟齬の違法がある、というのである。

しかし、右1については、指紋押捺制度が合理的理由と実質的必要性に基づくものであることは、指紋の性質自体及び立法の趣旨からも判断しうるところであつて、必ずしも証拠によることを要する事項ではないから、その限りでは法務省当局の担当者の供述をまつまでもない事柄であるのみならず、右の立法の趣旨とするところが、実際の運用においても生かされているか否かという事実についての右担当者らの供述は、こうした合理性必要性を裏付けている事実に関する証拠であり、所論のいう説明には、少なくともこのような事実に関する供述証拠が含まれていることが明らかであり、これらを根拠にして合理性、必要性を裏付ける背景事実を認定することに、なんら誤りはないというべきである。そのうえ原判決は、右の点につき法務省当局の担当者の所論のいわゆる説明のみによつて右合理性、必要性につき判断しているものでもないのであつて、その前提において失当であるから、右所論は到底採用できない。

次に、右2については、基本的人権の保障の問題には一切立法の裁量を許さないとする前提に立つているが、それ自体独自の見解である。個々の外国人の特定、識別の問題は、外国人の出入国及び在留に関する行政目的達成のうえでの基本をなすものであり、その目的達成のために一定限度を越えない範囲内で、制約を受ける自由、権利の選択や制約の限度についての立法的、行政的裁量が許されると考えるべきである。勿論、裁量の幅は制約を受ける自由、権利の性質により異なるものであるが、立法裁量の限界内にあることを判示するにあたり、必ずしもいちいち裁量の限界を明示することまでを必要とするものではないから、原判決がそれを明示していないからといつて、理由不備の違法があるとはいえない。

更に、右3については、所論のとる前提命題と原判決のそれとが異なることを看過した議論であることは、原判決の判旨から明らかである。つまり大前提を異にしている以上、仮に小前提にあたる事実が同じであつても結論が異なりうるのは自明である。原判決の採用する前提命題に誤りがあるとはいえないから、所論は採用できない。

右4についても、原判決は定住外国人に指紋押捺制度を適用していることが法の下の平等に反しない理由を説明していることは、判決自体から明らかであり、定住外国人に対する外国人登録法自体の適用の問題と指紋押捺制度の適用の問題を混同しているとの非難は当たらない。また、特定の自由、権利が内外人共通に保障されていることと、その制約に内外人の差異による合理的な差別を設けることとは両立し、矛盾するものではないことはいうまでもない。

以上のとおり、原判決には所論のような理由不備ないし理由齟齬の違法はなく、論旨は理由がない。

二控訴趣意(二)(事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、右改正前の外国人登録法一八条一項八号が定めるところの、同法一四条の規定に違反して指紋の押捺をしなかつた者に当たるというためには、押捺を拒否する意思の表明が必要であり、そのためには係官が指紋の押捺をすべき書類を示してその押捺を求めることが必要不可欠であるのに、係官は被告人両名に対し、それぞれ、登録証明書についてはこれを提示して指紋の押捺を求めたが、登録原票についてはこれを提示して押捺を求めていないから、被告人崔昌華にかかる原判示第一及び被告人崔善愛にかかる同第三につき、いずれも登録原票に関する押捺拒否の罪は成立しないにもかかわらず、登録証明書のみならず登録原票についても右罪が成立すると認定判示している原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。

原判決挙示の関係各証拠によると、被告人崔昌華については原判示第一のとおり昭和五五年一一月一八日、被告人崔善愛については同第三のとおり昭和五六年一月九日、いずれも各判示の北九州市小倉北区役所(市民課)において確認申請手続きをした際、それぞれ登録原票の記載事項につき原票の記載と各被告人から提出された申請書の記載とが同一かどうかにつき照合したところ、いずれも変更がなかつたこと、そこでそれぞれその場で新たな登録証明書を作成しこれを示したうえその指紋押捺欄にその押捺を求めたが、被告人崔昌華の場合には、押捺しなくても登録の切替えはできるかと尋ね、切替えはできるが外国人登録法違反になると告げられたうえ押捺を求められたのに対し、子供が押さないといつているから自分も押せない、子供と相談する間保留してほしい、押捺をさせるのは犯罪人扱いであるなどと述べて、押捺に応じなかつたこと、係官は、これを押捺拒否とみなして、その場で新たな登録証明書を交付したこと、被告人崔善愛の場合には、押捺しないといつて明確に拒否したため、係官は外国人登録法違反で告発されることになる旨告げたが、なおも押捺しなかつたので、その場で新たな登録証明書を交付したこと、係官はいずれの場合にも、登録証明書への指紋の押捺を拒否している以上は、登録原票のみに押捺することはありえないと考え、更に登録原票を示して押捺を促すことまではしないで、右各登録証明書を交付したこと、以上の事実が認められるのであつて、原判決も、係官が被告人両名に対し登録原票を示したうえで改めてこれに指紋を押捺するように促してはいない事実を認定していることは、所論の指摘するとおりである。しかし、右事実によれば、被告人両名は、いずれも登録証明書への指紋押捺を拒否している以上、登録原票のみに押捺することは考えられない状況にあつたものと認められるうえ、登録証明書と登録原票に指紋を押捺することは一体一連の手続きであつて、そのうちの一方のみの押捺ですますことは予定されておらず、したがつて、係官が一方の登録証明書を提示して押捺を求めている以上、右一体一連の指紋の押捺を求める行為に着手したものといえるのであり、したがつて、他方の登録原票につき改めて提示するという行為までしなくても、これについても押捺を求める行為があつたものと認めるのが相当であり、それに対し、右認定のような理由を述べてこれに応じなかつた以上、その行為により示された登録証明書のみならず登録原票にも押捺しない意思が明らかに表示されているものと認められるのであつて、したがつて、双方につき押捺を拒否したものと認めるべきである(なお、これらを包括して一罪と認めた原判決の判断も相当というべきである。)。所論は、これと異なる見解に立ち原判決の事実認定及び法令の解釈、適用を論難するものであり、採用できない。原判決には所論のような事実の誤認、法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

三控訴趣意(一)(憲法及び国際人権規約違反、事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について

(一)  所論は、要するに、外国人登録法に定める指紋押捺制度は憲法一三条、一四条一項及び国際人権規約B規約七条、二六条に違反するものであるから、被告人両名の行為は罪とならないにもかかわらず、原判決は、その判断の前提となるいわゆる立法事実を誤認した結果、右制度が憲法及び国際人権規約B規約の右各条項に違反しないものと判示したものであるから、原判決には事実の誤認があり、憲法違反及び国際人権規約違反の法令を適用して被告人両名を有罪とした点において法令適用の誤りがある、というのであり、その理由として、おおむね次のとおり主張している。

1  外国人登録法、殊に指紋押捺制度は、同法制定に至る経過及び改正の経過に照らし、在日韓国・朝鮮人の非合法運動の取締りに照準を合わせた治安立法としての性格が濃く、戦後四〇年を経た現在では、立法の前提となつた混乱した社会情勢は過去のものとなり、指紋押捺制度の導入を必要とした諸要因はすでに消滅している。

2  行政当局は、指紋押捺制度の目的について、外国人の居住関係、身分関係を正確に把握する関係で同一人性の確認方法として指紋が最も有用であり、その確認のために、登録証明書が交付されるたびに、押捺を求めることが必要である、というのであるが、窓口での登録証明書交付の手続の際に、指紋の同一性を確認するための照合を行うことは困難であり、実際にも行われていないうえ、その照合手続をすることも予定されていないというべきである。

3  また、外国人の二重登録等の不正の事案がほとんど消滅していたことから、昭和四五年には市町村から送付されてくる指紋の換値分類作業が中止されて、昭和四九年以後は、指紋照合の核心となるべき指紋原紙への押捺は、以前すでに押捺したことがある者については、これを省略してよい取扱いとなり、このことは、指紋の照合による同一人性の確認を必要としなくなつたことを意味し、行政当局の見解に立つてももはや指紋押捺を義務づける根拠、必要が消滅したものというべきであつて、外国人に対する心理的抑圧効果を残すだけのものとなつている。

4  行政当局の指紋押捺制度についての説明にもかかわらず、実際には公安警察に利用されていて、在日外国人のプライバシーを侵害する状況が生じており、今後科学技術の進歩により、その侵害がいつそう大きくなるものと予想され、弊害のみが残る状況にある。

5  在日韓国・朝鮮人、殊に、韓国・朝鮮人二世、三世の場合は、その歴史的事情及び生活実態に照らして、これらの者にまで外国人登録法の指紋押捺制度を適用することにつき、違憲として許されないものとすべき事情があるのに、原判決はこれらの事情を看過し、あるいは無視している。

以上のような立法事実が認められるのに、原判決は、これらの事実を正しく認識せず、これと異なる事実に立脚したうえ、指紋押捺制度が憲法及び国際人権規約に違反しないと判断している、というのである。

(二)  そこで、検討するに、まず、所論のうち事実誤認として主張するところは、原判決にはいわゆる立法事実について誤認があるというのであるが、右のような事実は、本件の罪となるべき事実固有のものではなく、一般的に法令の効力を検討する前提となる事実の誤認を主張するものであるから、刑訴法三八二条の事実の誤認の主張に当たらないことは明らかである。したがつて、所論は、結局、同法三八〇条の法令適用の誤りの主張と解すべきであるところ、原判決が、外国人登録法の定める指紋押捺制度をもつて憲法及び国際人権規約に違反しないとした点について、何ら誤りはなく、したがつて、被告人崔昌華の原判示第一及び被告人崔善愛の同第三の所為をいずれも有罪と認めたことにつき、所論のような法令適用の誤りはない。以下、所論にかんがみ、その理由を補足する。

1  指紋押捺制度が憲法一三条により保障されているプライバシーの権利を侵害するものであるとの主張について

憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定し、我国が個人の尊重、人間の尊厳を基調とする国家であることを宣明するとともに、国家がこれを侵害することを禁止し、更に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定して、個人の尊重の理念から導き出される自由、権利、殊に、私生活上の自由、権利に対する最大の尊重を掲げており、その結果として、国民はその私生活上の一般的自由の一部として、みだりに指紋を採取されない自由を有するものというべきである(最高裁判所昭和四〇年(あ)第一一八七号同四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁の趣旨参照)。そして個人の尊重の法理は、その趣旨に照らし、我が国民のみならず、外国人に対しても同様に及ぶものというべきであるから、外国人の私生活上の自由も、その地位から生ずる制約に反しない限り同様に保障されるものである(この点は法の下の平等を保障する憲法一四条についても同様である。)。しかし、右自由も公共の福祉による制約を免れないのであるが、私生活上の自由は、生命の維持に必要な睡眠、食事をとること(これらはほとんど絶対的に保障される基本権である。)から、スポーツ、散歩、喫煙に至るまで極めて広汎なものを包含する(したがつて、基本権として積極的な保障が要請されるべき自由、権利とまではいえない一般的自由、権利をも広く包含する。)と解されるが故に、その制約を受ける自由の性質に応じ具体的に制約が許される限界を検討する必要がある。

ところで、指紋は終生不変、万人不同という特性を有するがゆえに、個人の同一性の識別のために最も確実な方法であるとされているが、それ自体の有する情報的価値はあくまでも個人の識別のために有効な紋様であるにとどまり、それ以上の情報的価値を有するものではなく、たとえば当該個人の肉体的、心理的性質に関する情報を表象していたり、思想内容を表象しているものではない。またその採取には、主として罪を犯した者やその疑いがある者がその対象とされてきたという歴史的事実のためもあつて、いわば犯罪者と同視されたような屈辱感を味わうといつた心理的なマイナス面を伴う場合があることを別とすれば、肉体的苦痛もないものであつて、その採取に伴う弊害もほとんどないといつてよいものである。したがつて、指紋は個人の同一性の識別方法としては極めて有用かつ簡便なものといえるが、識別の確実性の故に個人の一般的行動調査などに使用することも可能であり、それによるプライバシーの侵害の危険があることは否定できない。しかし、遺留指紋採取の作業も人目に触れ易く、写真撮影、録音などと比較しても、はるかに手間や人手もかかることなどを考慮すると、その採取による行動調査には自ずと限界があるというべきであり、少なくとも現段階では、特定の個人の行動調査に使用することの危険性を過大視するのも、必ずしも相当ではないといえよう(その弊害に対しては、必要に応じ別に禁止規定を設けるなどにより防止可能である。)。指紋の有するこのような性質からすると、指紋を採取されない自由が、公共の福祉を理由とする制限の点で一般的権利、自由よりも高度に制約されている自由、権利として積極的な保障が要請されるべき基本権に属すると解されるところの、プライバシーの権利の範囲に含まれるといえるかどうかについては、少なくとも現段階においては、消極に解するのが相当であると考える(なお、プライバシーの権利は憲法上これを保障する明文はないものの、明文により保障されている思想、良心の自由、表現の自由、通信の秘密の不可侵、令状なく侵入、捜索及び押収をされない権利等の趣旨に照らし、少なくともこれらの諸権利から派生する権利として、その基本権性を肯認することができる。ただ、その基本権性の及ぶ範囲については、見解の分かれるところであるが、たとえば盗聴されない権利がこれに含まれることには異論のないところといえるし、科学技術の発展等とも関連する問題であると考えられる。)。しかし、それが右の意味におけるプライバシーの権利には含まれないからといつて、私生活上の自由である以上は、立法その他の国政上、公共の福祉に反しない限り尊重すべきもので、これを制約する合理性も必要性も認められないのにみだりに制限することの許されないことは、まさに個人の人格、及びその自由、権利の尊重の理念に基づく憲法一三条の規定するところであり、これらの自由及び権利をみだりに制限することは、国民の権利、自由を尊重しないこととなる関係で、憲法一三条に違反することとなるのであつて、この意味において、私生活上の一般的な自由としてみだりに指紋を採取されない自由があるものと解するのが相当である。そして、指紋を採取されない自由についての右のような性質にかんがみると、そこで適用される制約の基準は、規制の目的・手段に合理性、必要性が認められ、その規制により実現しようとする公共の利益と、右制約により失われる個人の自由とを比較し、前者が優越すると認められる場合であることを必要とし、かつそれで足りるというべきである(みだりに、というのはその趣旨である。)。

そこで、外国人登録法が、外国人に対し指紋の押捺を義務づけていることが、憲法一三条の右趣旨に照らして許されるか否かを検討する。

原判決が正当に判示しているとおり、現段階における国際関係のもとでは、外国人の出入国及び国内にいる外国人の居住関係や身分関係などの在留の実態を的確に把握する必要性のあることは、いかなる国家といえども否定することはできない重要な問題であり、外国人登録法はその目的のために制定されているところ、右の目的を達成するためには、外国人の個別的同一性を確認する方法を確保することが必要、不可欠であるが、そのためには種々の方法が考えられるところとはいえ、指紋によりこれを特定する方法も、指紋の有する前記の特性に照らし十分合理的なものということができ、しかも指紋採取に伴う個人の自由に対する制約は、右のとおり私生活上の比較的狭い領域内にとどまるものということができるのであつて、右目的の重要性に照らし相当な制限として受忍すべき限度内のものと認められ、したがつて、その確認方法につき、指紋を含めたいかなる手段を選択するかは、まさに立法府の裁量に委ねられているといえる。すなわち、たとえば、密出入国についてどの程度の厳格性をもつて規制すべきかについては、国内情勢及び国際情勢を踏まえたうえでの判断を必要とするものであるから、第一次的に立法府によつて決せられるべき問題であり、その判断いかんによつて、規制方法が選択、決定されることになる筋合のものであるところ、密入国者、不法在留者が他の在留外国人になりすますなどの事態もこれまでに存在しており、このような場合にも備えて、密入国者らを厳しく防止しようとする立場をとる場合には、指紋による同一性の確認方法を採用し、かつすべての外国人にその履践を求める方法によることも十分合理的であるし必要性も肯認できることになる。我国は、国土も狭いのに比して人口も多いなど、他国とは条件が必ずしも等しくないことなどの事情もあることにかんがみ、諸外国のうち指紋の押捺を要するとしている国が比較的少ないからといつて、そのことだけで指紋を同一性確認の手段とすることが許されないとしなければならないものではない。そのうえ、指紋の押捺に関する事項も在留に関する広義の条件とみることができるものであるところ、そもそも外国人に入国及び在留を許すか否か自体、結局当該国家の主権により決定されているのが、現実の国際社会の情況であり(相手国との条約による制約もその主権国家の意思に基づくものである。)、外国人を受け入れるかどうか、受け入れる場合には在留の条件としていかなる条件を付するかについても、国際法及び条約の範囲内で当該国家の意思により自由に決しうるところであることをも併せ考慮するならば(最高裁判所昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)、右目的を達成する必要から設けられた、指紋を採取されない自由、権利の右の程度の制限は、公共の福祉のためのやむをえない制約として、憲法一三条に違反するものではないといわなければならない。

所論の立法事実に関する主張のうち、まず指紋押捺制度が在日韓国・朝鮮人の非合法活動の取締りに照準を合わせた治安立法であつたとの前提に立つ所論部分は、外国人登録法の内容、運用、立法経過に照らして、その前提自体到底採りえないところである。次に、指紋押捺制度の導入当時は二重登録や虚偽登録がかなりあり、その防止を図る必要があつたが、現在ではそのような状況はなくなつているから、もはや指紋押捺制度を真に必要とすべき事情が消滅しているという所論部分については、確かに右制度が導入された直接の契機となつた事実の指摘としては正当なものを含んでいるということはできるが、指紋押捺制度の目的はそれのみにとどまるものでないことも明らかであり、在留外国人が本人であるかどうかが問題となつた折りには、いつでも指紋の照合によりこれを確認することが可能となるのであるから、右の方法を維持していることの合理性、必要性が消滅しているということもできない。更に、本件のような確認申請手続の際窓口において指紋の照合を行うことが困難であり、実際にも照合は行われておらず、指紋原紙の法務省への送付、指紋の換値分類も中止され、あるいは一定の者につき指紋原紙への押捺免除の措置が採られるに至つているという事情があるからといつて、確認申請手続きの都度指紋の押捺を求めることによつて、当該外国人の同一性に疑問が生じた場合など、必要に応じて、各確認申請手続きの時点における同一性を含めて、その同一性の調査、確認をすることを可能ならしめるものであるから、確認申請手続きの際にも指紋の押捺を必要とする旨の立法府の判断は、右制度の趣旨、目的に照らして尊重されるべきであり、しかも、プライバシーについての所論の見解に従つても、すでに指紋を押捺した者に対するプライバシーが新たに押捺を求めることにより失われるものともいいがたいことからしても、法が右確認申請手続の際指紋押捺を義務づける規定を設けていることをもつて、憲法一三条の趣旨に反するものとはいえない。また、押捺指紋が公安警察に利用されているという点についても、その前提自体についての具体的立証はなく、多分に推測に基づくものであるといえるばかりか、仮に違法な態度による利用が一部にあつたとしても、それをもつて指紋押捺制度が右の目的に照らして合理的である以上、それだけでその制度自体を違憲のものということのできないことも勿論である。所論指摘の在日韓国・朝鮮人の歴史的事情や生活実態等の点も、外国人である以上、これらの者に対する指紋押捺制度の適用に合理性、必要性がないとする理由とはならず、これらの者について一般外国人と異なる取扱いをするかどうかをも含め立法府の裁量の問題に過ぎないというべきである。

以上のとおりであつて、プライバシーの権利を侵害することを理由とする憲法一三条違反をいう論旨は理由がない。

2  個人の尊重を規定する憲法一三条及び品位を傷つける取扱いを禁止する国際人権規約B規約七条違反の主張について

所論は、要するに、指紋押捺制度は、憲法一三条に保障された個人の尊重に反し、国際人権規約B規約七条で禁止されているところの、品位を傷つける取扱いを受けない権利の保障に違反している、というのである。しかし、指紋押捺が、国内では主として犯罪者に対し求められていたという歴史的経緯等から来るある程度の不快感を伴うからといつて、身体の外部に露出している部分である指紋の押捺を求めるもので、それ自体としては品位を傷つけるものとはいえず、そのうえ右指紋押捺制度は合理的な行政目的によるものであつて、犯罪人としての取扱いをするものでもないことは明らかであることに照らし、これをもつて、個人の尊重に反し、品位を傷つけるものとはいえないから、論旨は理由がない。

3  法の下の平等を保障する憲法一四条一項及び国際人権規約B規約二六条違反の主張について

所論は、要するに、指紋押捺制度は、それ自体外国人に対し差別的取扱いをするものであるばかりでなく、殊に、在日韓国・朝鮮人及び韓国・朝鮮二世、三世らについてこれを適用する場合には、歴史的諸事情やその生活実態に照らして、法の下の平等を保障する憲法一四条一項並びに国際人権規約B規約二六条に違反する、というのである。

ところで、憲法一四条一項の規定の趣旨は、法の制定及び適用において、社会、経済その他の事実関係上の差異に基づき異なる取扱いや不均等が生ずることとなつても、それが一般社会観念上合理的な根拠に基づき必要と認められる限り、右の異なる取扱いや不均等を否定する趣旨でないことは、最高裁判所の累次の判例により明らかであり、また国際人権規約B規約二六条の趣旨も同様に解される。そして、外国人登録法は、現在の国際関係の中での主権国家たる我国における外国人と日本人との地位の差異という合理的根拠に基づくものであり、同法が指紋押捺制度を設けている趣旨は、前記のとおり、同法の立法の目的を達成するための基本的事項である外国人の個別的同一性の識別のために必要な措置として設けられているものであつて、それにより日本人と外国人との間に生じている異なる取扱いは右目的達成のためのやむをえない措置といわなければならず、外国人に対する不当な差別ということはできないから、外国人登録法上の指紋押捺制度が法の下の平等を保障する憲法一四条一項及び国際人権規約B規約二六条に違反するものではない。右のように外国人登録法上の指紋押捺制度が我国国民と外国人との基本的差異に基づく措置であることにかんがみると、所論の指摘する在日韓国・朝鮮人の歴史的諸事情やその生活実態、第二次世界大戦終了前から現在の我国領土内に居住しあるいはその後我国で出生し今日に至るまで居住を続けている韓国・朝鮮人につき、指紋押捺制度を必要としない理由として所論の指摘する諸点を検討、考慮しても、これらの者に対し一般外国人と異なる取扱いをするか否かは、結局主権国家としての我国の立法政策上の問題であるにとどまるものというべきであつて、指紋押捺制度を外国人である在日韓国・朝鮮人、あるいは韓国・朝鮮人二世、三世らについて適用を除外しないことにより生じている日本人との間の異なる取扱いが、法の下の平等の保障に反することになるものとはいえない。

以上のとおりであつて、原判決が前記改正前の外国人登録法の条項を憲法一三条、一四条一項及び国際人権規約B規約七条、二六条に違反しないものと判断してこれを適用していることは正当であつて、この点に所論のような違法はなく、憲法違反及び国際人権規約違反に関する立法事実の誤認並びに違憲及び国際人権規約違反の法令を適用して有罪認定をしたとの法令適用の誤りをいう論旨はいずれも理由がない。

四控訴趣意(四)(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、被告人崔善愛にかかる原判示第二につき、確認申請の手続きをとるのがわずか三八日間遅れたに過ぎないのに、この点につき公訴を提起したのは、公訴権の濫用であり、公訴を棄却すべきであるのに、有罪の判決をした原判決は、刑訴法三三八条四号に違反し、その訴訟手続に判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というのである。

しかし、被告人崔善愛に対する右の点の公訴提起が、検察官の公訴権の行使につき職務犯罪を構成するような極限的な場合に該当しないのはもとより、原判示のとおり、申請の遅延がやむをえない事情によるものとはいえないし、遅延も約一か月に及んでおり、通常、その程度で告発の対象とする運用が行われていること、右の遅延は原判示第三の指紋不押捺の行為と密接な関係を有するものであり、これと合わせて起訴されていることなどの事情が認められることにも徴すると、被告人崔善愛が確認申請の手続きをとることなく在留した事実についても検察官が公訴を提起したことをもつて、公訴権を濫用したものということはできない。論旨は理由がない。

五以上のとおり、所論はすべて理由がないから、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、同法一八一条一項本文により当審における訴訟費用は被告人両名の平等負担とすることとして、主文のとおり判示する。

(裁判長裁判官永井登志彦 裁判官小出錞一 裁判官谷 敏行)

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